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調理道具・厨房設備・製菓用品・包装用品・ショーケース・食品のディスプレイサンプル・食器など調理、厨房に関係する備品・道具類等の専門店がずらりと並ぶ道具街である。
<かっぱ橋の由来>
合羽橋の由来には2つの説がある。
その1つは、今から160年ほど前の文化年間の頃、この一帯は、水はけの悪い土地でたびたび出水を起こしていた。そこで、合羽川太郎(本名・合羽屋喜八)は、私財を投じて排水工事に着手したが、工事はことのほか難航した。昔、川太郎に助けられたことのある隅田川の河童達は、これを見ていたく同情し工事を手伝ったおかげで、掘り割り(当時は新堀川と呼ばれた)は見事に完成した。この故事にちなんで「合羽橋」としてものである。
もう1つの説は、今の金竜小学校のあたりにあった伊予新谷の城主、加藤家下屋敷に住む侍や足軽が、内職に作った雨合羽を近くの橋で乾かしたことで、「合羽橋」と呼ばれるようになったというものである。 |
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食品サンプルの専門店。本物より本物らしい?、思わず見入ってしまう。ジョッキに入ったビールももちろんサンプル。 |
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<かっぱ河太郎像の碑>
古来合羽橋は商売とは深い縁で結ばれていた。今から約200年前の文化年間、商人として財を成した合羽屋喜八は、この辺りの水はけが悪く僅かな雨で度重なる洪水に人々が難儀をしていることを見かね、私財を投げ出し治水のための堀割工事を始めた。ところが工事は困難を極めなかなか捗らない。その様を見ていた隅田川の河童達が、喜八の侠気に感じ、夜な夜な現れては人知れず工事を進め、さしもの難工事もついに完成した。
そして、その河童を見た人は、なぜかそれから運が開け商売が繁盛したという。
この故事に鑑み、合羽橋道具街の誕生90年を迎えるにあたり、ご来街のお客様ともども幾久しい商売繁盛を祈念し、台東区の協力を戴きこの地にかっぱ河太郎像(他の場所での説明文には川太郎と表記されているが、この碑の説明文は河太郎となっている)を建立する。(平成15年 東京合羽橋商店街振興組合) |