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広小路通は、名古屋市の代表的なメインストリートで、市内を東西に横断する道路である。広小路の由来は、万治3年(1660)に大火(万治の大火)があり、このとき名古屋城下の半分を焼き尽くした。これから道幅が3間から約15間(約27m)に拡幅され、広小路と呼ばれるようになった。 |
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車が行き交う大通りである。緑も多く、ビルの間には鯉のぼりが泳ぎ、潤いを感じる。通りに面した神社で「朝日稲荷産業まつり」とかかれた看板が目に入った。神社の鳥居前の歩道を清掃していた神社関係の服を着ていた方に、「何が行われているのですか?」と伺うと、「見ての通り」という素っ気ない返事にびっくりする。少々高齢の方だったが、これでは親近感が湧いてこない。神社に入るのをやめて通り過ぎた。
<広小路通>
名古屋は、徳川家康が慶長17年(1612)頃、城下に碁盤割りの町を築きそれまでの尾張の本拠地であった清洲から「清洲越」を行ったことに始まる。
広小路の名は、万治3年(1660)に城下の半分を焼き尽くした「万治の大火」を機に広げたことことに由来する。当時は縁日などがたって、庶民の娯楽の場として賑わった。
明治になって、多くの人が集まる栄地区と東海道本線の名古屋駅とを結ぶ幹線道路として整備され、また全国で2番目に路面電車が開通するなど、名古屋随一の目抜き通りとして栄え、名実ともに近代以降の名古屋の発展の軸となってきたメインストリートです。
この広小路通は平成元年(1989)開催の世界デザイン博覧会を契機に、電線の地中化、歩道修景などの道路整備を実施し、沿道商店街による歩道照明灯の設置や沿道建築物の景観への協力を得ながら、市民一体となった街並みの整備が進められている。 |
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