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仙崎が生んだ童謡詩人金子みすゞは、矢崎節夫氏の熱意ある発掘により蘇った。みすゞの童謡はやさしくあたたかい心底深い詩心にあふれている。みすゞの生家や墓所をはじめゆかりの場所が多く点在しているこの通りを「みすゞ通り」と名づける。JR仙崎駅から北へ約1km延びる通りです。
仙崎駅前「みすゞ通り」のスタート地点にある説明版(2段目左画像)の先に見えるまっすぐな通りがそれです。
<大漁>
朝焼小焼だ
大漁だ
大羽鰮(いわし)の
大漁だ。
浜は祭りの
ようだけど
海のなかでは
何万の
鰮のとむらい
するだろう。 |
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この通りには、みすゞの詩札があちこちの軒下や塀、店先など掲げられていたり、かまぼこ板で作られたみすゞのモザイク画も数か所設置されている。
<こだまでしょうか>
「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。
「馬鹿」っていうと
「馬鹿」っていう。
「もう遊ばない」っていうと
「もう遊ばない」っていう。
そして、あとで
さみしくなって、
「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。
こだまでしょうか、
誰でも。 |
<わたしと小鳥とすずと>
わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地面をはやくは走れない。
わたしがからだをゆすっても、きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように たくさんなうたは知らないよ。
すずと、小鳥と、それからわたし、みんなちがって、みんないい。 |
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小学校の国語教科書の掲載され、また、東日本大震災後、繰り返し流れたACのCMなどで広く知れわたったいる金子みすゞ。静かでどこか懐かしい思いの通りです。
この地は、日本近代式捕鯨発祥の地でもある。日本遠洋漁業株式会社は明治32年(1899)大津郡三隅村沢江浦の滝口楼(現、河野健氏宅地内)において設立総会を開き、資本金10万円で発足した。社長に山田桃作(三隅村出身)、常務取締役には岡 十郎(阿武郡福栄村出身)が就任した。
本社を仙崎村字御旅所1882番地の南野大二郎の屋敷(現、長門市仙崎今浦藤井久嗣家の宅地内)に置き、出張所を下関市岬之町に設けて操業を始めた、これが日本で最初に近代式捕鯨を手がけた企業である。
同社は明治37年(1904)、本社を下関市に移し「東洋漁業株式会社」に社名を変更、明治42年(1909)には本社を大阪に移し、社名も「東洋捕鯨株式会社」に改めて水産業界に飛躍した。現在の「日本水産株式会社」に至る。 |