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<先斗町>
この地はもと鴨川の州であったが、寛文10年(1670)に護岸工事の為、埋め立て石垣を築き町家が出来て、これを新河原町通りといった。
その後、三条一筋南から、四条まで、即ち南北600m、東西50mにわたる地域に人家が建ち並び俗に先斗町と呼ぶようになった。正徳2年(1712)に茶屋、旅籠屋両株と茶立の女子を置くことを許され爾来花柳の街として繁昌、現在に至っている。
先斗町の呼び名は、ここの人家が全て川原の西側にたち、先ばかりに集中したところから先斗町と呼ばれたともいい、葡萄牙(ポルトガル)語(PONT)英語の(POINT)の発音によったともいわれる。
京の年中行事「鴨川をどり」は明治5年に創始、今日まで京の春秋を艶やかに色どっている。 |
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先斗町を歩いていたら見かける。これは何だろう?きっと何かいわれがありそうだが。知っている方があったらぜひ教えてほしい。 |
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先斗町歌舞練場の近くに来る。飲食店がひしめく京都一の歓楽街にあってこうした姿を見かけるのもやはり京都の風情である。
先斗町歌舞会(京都市中京区先斗町三条下ル)では舞妓さんの希望者を募集しているようです。このことは広く報道されているが、舞踊、三味線など芸事に興味のある人が伝統芸能を引き継ぐ担い手になっていくのでしょうか。
先斗町歌舞練場は、鴨川との間にあり、非常にレトロな感じがする。幾何学模様の窓枠やスクラッチタイルの外壁が印象的で、先斗町の街の雰囲気と好対照でもある。 |
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夜、先斗町を歩く。昼の先斗町とは様変わりの景観。 |
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京野菜が店先に出されていた。生き生きしたつやのある野菜が目に焼き付く。 |