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<仲屋町>(すわいちょう)
八幡城下形成時に仲買商人の町として成立した町で、町名は商売の仲買を意味する「すあい」に因むが、後には他の商人町と変わるところはなかった。また、”市助町”(いちすけ)とも呼ばれたが、これは豊臣秀吉奉行衆の一人だった一柳市助直末が居住していたことに由来するといわれている。 |
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<西川傳右右衛門邸址>
初代傳右右衛門(昌隆)は、寛文年間(1661〜1673)に松前城下に店を出し、松前藩の御用商人となる。彼は、「子孫たるもの決して郷里に於いて田畑を購い、或いは事業を起こす勿かれ。余財あれば必ず北海道事業振興の刷新に投ぜよ、我が家は松前にて興る。従って、松前にて滅ぶも豪も悔なし」との遺言通り、西川家は300年近い間、北海道の開発に情熱を傾けた商家だった。
10代当主「西川貞二郎」は、初代八幡町長を務める一方、日本初となるカニの缶詰開発、大阪商船会社発起人、八幡銀行設立に関わるなど近代的企業活動を展開し、住友2代目総理事「伊庭貞剛」は「近江商人の典型、彼において他に無し」と評価している。
11代当主「西川吉之助」は聾唖学校を開設するなど、教育問題に力を注いだ人物でもあった。 |
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<八幡で最初の郵便局>
明治42年(1909)に特定郵便局として活動を始め、大正10年(1921)にヴォーリズによって増築設計された建築物です。クリーム色のセメントスタッコ吹き付け壁の木造2階建てで、いぶし銀の日本瓦葺き寄せ棟屋根を有している和と洋の様式を折衷された、古きを重んじながら進取の気性も合わせ持つ近江八幡を体現した建物です。
昭和36年(1961)に郵便局が移転され、旧郵便局は別の用途に一時期使われ、その後長年放置されていた。平成8年(1996)、有志で修復が始まり、原型を失い朽ち果てていた旧郵便局に再び光と風が吹き込まれる。
<旧八幡郵便局>
旧八幡郵便局は、100年ほど昔にアメリカから近江八幡へやってきたヴォーリズが設計した建物です。ヴォーリズの建物には、彼がその生涯を通して伝えたかった想いが宿っている。
一粒の会(NPO法人ヴォーリズ建築保存再生運動 一粒の会)は、この建物を「保存・再生・活用」することで、ヴォーリズが私たちに語りかけるものを多くの人に伝えてゆきたいと活動している。 |