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<為心町>(いしんちょう)
町名は、城下町時代、豊臣家に仕えた為心斎が居住していたことに因むと伝えられている。同町は多くの近江商人を輩出しており、同町元には江戸期松前藩(現・北海道松前町)に下請けとして蝦夷地(現・北海道)開発に従事した恵比寿屋岡田彌三右衛門家の邸宅跡を示す石碑がある。また、同町上・中の一部は、かつて桶屋町として独立していたが、昭和29年(1954)の市制施行と同時に同町に併合された。 |
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<岡田彌三右衛門邸>
初代は、慶長19年(1614)に24歳で北海道松前に渡り、呉服・太物などを商い、後に漁業も手がけた。
5代目の頃には、最大23もの漁場を請け負い、炭坑の採掘、農場経営、道路の開削工事など多方面で活躍しましたが、場所請負制度の廃止などが影響して、明治34年(1901)に北海道を引き上げました。
大正7年(1918)の北海道開道50年記念事業では、功労者として岡田家に追彰状が送られ、13代目岡田八十次が受領しています。
なお、11代目が壮年の頃、函館より室蘭に向かう道中で登別の山中で休憩した際に、川筋に湯気が立っているのを発見、これが後の登別温泉につながったと伝えられている。 |
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