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小港町から山手の台地を北に上る坂。上り始めからワシン坂病院までは急坂だが、そこから先は緩やかな坂になっている。 |
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ワシンの語源に諸説がある。@和親条約のワシンからきたとするもの。A鷲見坂がなまってワシン坂とするもの。Bワシン(ウシン)という外国人がこの付近に居住していたからだとするもの。C坂下に清水が湧き出る所から「ワキシミズザカ」が外国人たちの口によって「ワシン坂」となったとするものなど。いずれにしろ,一帯は慶応2年(1866)に外国人居留地に指定されているので,ここのろからの呼称と考えられている。(「横浜橋めぐり坂あるき」より) |
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<ワシン坂・湧水>
この湧水は、古くから市民の生活用水として広く利用されてきた由緒あるものである。水温は夏は冷たく、冬は暖かく、一年を通じてほぼ安定している。近年では、周辺環境の都市化が進んだ影響もあり、清浄な水質を保てなくなってきたが、災害等には飲用以外の生活用水としての利用が可能です。
<山手風致地区>
横浜山手は港を望む高台に慶応2年(1867)居留外国人の住宅地として開放され、各国の領事館や外国商人の邸宅、外人墓地、山手公園、学校、病院等が置かれ、西洋館が緑の中にゆったりと建つ、すぐれた住宅地を形成してきた。
関東大震災や戦災により、当時の西洋館はかなり失われてきたが、外人墓地を始めとする旧跡や道路網、敷地の区割、石垣等は明治初期のものがそのまま継承されており、その環境の中で、緑豊かに立つ洋館群は、往時の生活を彷彿とさせてくれる歴史性を有している。
そおため横浜市では風致地区に指定して、横浜発展の礎となり今なおすぐれた住環境と景観を維持継承している。 |