|
|
|
|
|
|
|
|
谷中から文京区根津の谷に下りる坂には、この坂と北方の三浦坂・あかぢ坂とがあり、あかぢ坂は明治以後の新設である。
善光寺坂は信濃坂ともいい、その名は この坂上の北側にあった善光寺にちなむ。善光寺は、慶長6年(16001)信濃善光寺の宿院として建立され、門前町もできた。寺は元禄16年(1703)の大火に類焼して、青山(現港区青山三丁目)に移転し、善光寺門前町の名称のみが明治5年まで坂の南側にあった。
善光寺坂のことは,明和9年(1772)刊行の「再校江戸砂子」にも見え、「御府内備考」の文政9年(1826)の書上には,幅2間(約3.6m)、長さ16間(約29m)、高さ一丈五尺(約4.5m)ほどとある。 |
|
|
|
|