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「三崎」という地名の由来には諸説あるが、駒込・田端・谷中の三つの高台にちなむといわれる。安永2年(1773)の『江戸志』によると、三ア坂の別名を「首ふり坂」といい、30年ほど以前、この坂の近所に首を振る僧侶がいたことにちなむという。
<旧谷中三崎町>
「三崎」のいわれは諸説あるが、この地が駒込、田端、谷中の三つの高台に向かっていることから名付けられたとする説が一般的である。
本町は、元禄年間(1688〜1704)のころすでに谷中村からわかれ町屋を形成していた。その後、明治4年(1871)に南北二町にわかれ、谷中三崎町南側および谷中三崎町北側となった。しかし、同6年には付近の大円寺をはじめておする六カ寺を合併するとともに南北二町は再び一つになり、もとの一町にもどった。
本町の中心を東西に通る坂が三崎坂。谷中には、由緒ある寺院が数多くあるが、この三崎坂の途中に大円寺がある。ここには、江戸時代に浮世絵画家として活躍した「錦絵の開祖 鈴木春信」の碑が建っている。 |
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