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江戸時代、加治木は、鹿児島を起点に、粟野・大口を経て、水俣から肥後につながる主要街道から、日向方面に分かれる分岐点にあった。ここには大きな港もあったため宿場が発達して、人や産物・情報の集まる場所として栄えてきた。この繁栄の証が龍門司坂で、平成18年(2006)7月28日付け、「我が国の近代の交通を考える上で貴重である」として、国の史跡に指定された。
龍門司坂は、寛永12年(1635)に開かれた。大名行列や物資の搬出などに使われ、江戸と薩摩を結ぶ重要な街道だった。
しかし、この坂道は粘土質で滑るうえ、風雨による決壊がひどかったため、元文6年(1741)加治木領主島津久門の時代に、木田村樋ノ迫の石材を切り出して石畳が敷かれま。全長は1500mあまりといわれているが、現在は約500mが当時の姿で残っている。 |
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明治10年(1877)の西南戦争の時、熊本へ向かって発進した西郷軍も、この坂道を登って肥後人吉へ向かっている。このとき加治木の人々は道沿いに太鼓・三味線を演奏して送り出したそうです。国指定史跡。
平成元年と2年には、NHK大河ドラマ「翔ぶが如く」、篤姫(2008)、龍馬伝(2010)の撮影も行われた。(画像提供: K.J さん) |
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