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この立札の建っているところを中心にして(バス停のすぐ近くに立札がある)、西は大和大路通まで、東は坂を登って清水坂に至るまでの間を五条坂という。
近年、道路の整備拡張に伴い、昔の姿は失ったが、このあたりは、清水坂と共に清水焼の陶工の家が多く、上品で風雅な清水焼が造り出されたところである。
清水焼は、室町時代中頃に始まるといい、寛永年間(1624〜1644)に野々村清兵衛(仁清)(ののむらせいべい(にんせい))が出てその名声を高めた。その後、青木木米、高橋道八、尾形周平、清水六兵衛、清風与平、真清水蔵六、三浦竹泉など多くの名工が輩出して、製法と意匠の研究が進められ、西陣織、京友禅と並ぶ京都の代表的伝統産業となった。その独自の芸術性は海外まで高く評価されている。 |
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<若宮八幡宮>
応神天皇(八幡神の主神)とその父母・仲哀天皇及び神功皇后を主祭神とし、左の相殿に仲恭天皇を祀っている。また、昭和24年(1949)に右の相殿に陶祖神の椎根津彦命が合祀されたことから「陶器神社」としても知られている。
平安時代の天喜元年(1053)に、後冷泉天皇の勅願により源頼義が六条醒ヶ井(現在の西本願寺の北東辺り)に創建したのが当社の始まりと伝えられ、当初は六條八幡、佐女牛八幡とも呼ばれた。源氏一族や武士からの信仰が厚く、室町時代には足利歴代将軍の崇敬を集め、隆盛を極めた。その後、応仁の乱により荒廃し、社地を転々として慶長10年(1605)に五条坂のほぼ中央に当たる当地に移された。
現在の社殿は承応3年(1654)に再建されたものである。
毎年8月7日から10日までの4日間、若宮祭とともに陶器祭が行われ、五条坂一帯で盛大に開催される陶器市は多くの人でにぎわう。
また、昭和60年(1985)には若宮八幡宮前に、五条坂の先人及び陶器祭運営功労者への感謝の意を込めて、『清水焼発祥之地 五條坂』の記念碑が建立された。
<若宮八幡宮社本殿>
現在の本殿は承応3年(1654)の造営と伝える。三間社流造(さんげんしゃながれづくり)の庇を取り込んで前室とし、更にその前に向背一間を付けた前室付きの流造である。屋根は現在銅板葺になっているが、当初は桧皮葺であった。
前室付き流造の本殿は、滋賀県下に多く見られるが、京都では珍しい形式のもので、この本殿の価値は高い。(京都市指定有形文化財) |
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亀亭は清水焼陶工の名で、寛延元(1748)年五条坂上の音羽町に開窯した亀屋平兵衛家の流れを引く。三代平兵衛(?〜1765)の時に亀亭を号したが、その子の早世により家督は備前出身の和気平吉(1707〜87)が継承し二代亀亭となった。三代(〜1807)・四代(1771〜1848)と和気家が受け継いだ。二代は五条坂の磁器製品開発に尽力し、四代は勧業場の御用掛となるなど京焼の振興に足跡を残した。この石標は和気亀亭宅の跡を示すものである。(「フィールドミュージアム京都」より引用) |
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「ここよりひがし 五條坂」の案内が道路脇にある。 |