|
|
|
|
|
|
|
|
「江戸志」によれば「…湯島より池の端の辺をすべて長井庄といへり、むかし斎藤別当実盛の居住の地なり…」とある。また、この坂下の南側に、実盛塚や首洗いの井戸があったという伝説めいた話が「江戸砂子」や「改撰江戸志」にのっている。この実盛のいわれから、坂の名がついた。
実盛とは長井斎藤別当実盛のことで、武蔵国に長井庄(現埼玉県大里郡妻沼町)を構え、平家方に味方した。寿永2年(1183)、源氏の木曽義仲と加賀の国篠原(現・石川県加賀市)の合戦で勇ましく戦い、手塚太郎光盛に討たれた。
斎藤別当実盛は出陣に際して、敵に首をとられても見苦しくないようにと、白髪を黒く染めていたという。この話は「平家物語」や「源平盛衰記」に詳しく記されている。
湯島の「実盛塚」や「首洗いの井戸」の伝説は、実盛の心意気にうたれた土地の人々が、実盛を偲び、伝承として伝えていったものと思われる。 |
|