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『御府内備考』に、「中坂は妻恋坂と天神石坂との間なれば呼名とすといふ」とある。
江戸時代には、二つの坂の中間に新しい坂ができると中坂と名づけた。したがって中坂は二つの坂より後にできた新しい坂ということになる。
また『新撰東京名所図会』には「中坂は、天神町1丁目4番地と54番地の間にあり、下谷区へ下る急坂なり、中腹に車止めあり」とあり、車の通行が禁止され歩行者専用であった。
このあたりは、江戸時代から、湯島天神(神社)の門前町として発達した盛り場で、かつては置屋・待合などが多かった。
まゐり来て とみにあかるき世なりけり
町屋の人の その人の顔かお (釈 超空) |
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