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切支丹屋敷跡の周辺には切支丹坂と称する坂がいくつか存在する。
この庚申坂はそのうちのひとつで、小石川台地から谷を下って、向かい側の小日向台地にあった切支丹屋敷に通じていたので切支丹坂とも呼ばれていた。江戸時代以降の書籍、絵図、地図および文学作品にもそのように記載されている。現地に立っている説明板には
「この坂を切支丹坂というは誤りなり」と表示されているが、新撰東京名所図会をそのまま引用しており、適切とは思えないのだが。
江戸の町中から切支丹たちがこの坂を下って、当時は辺鄙な所であった切支丹屋敷に護送されていったことに思いを馳せると感慨深いものである。
坂名の由来は「享保頃までは庚申の石碑ありし故の名なり」によっている。庚申信仰は、庚申の日(60日ごと)人が眠ると三尸の虫が人の体から出て天にのぼり天帝にその人の罪を告げるというところから、人びとは一晩中夜明かしをした。この信仰は中国から伝わり、江戸時代に盛んになった。(画像はHさんの提供) |
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