|
|
|
|
|
|
|
|
<堀坂>(宮内坂・源三坂)
「堀坂は中富坂町の西より東の方、即ち餌差町に下る坂をいふ。もと其の北側に堀内蔵助(2300)の邸ありしに因れり。今坂の中途に"ほりさか"と仮字にてしるしたる石標あり。此坂は従来宮内坂又は源三坂と唱へたるものにて。堀坂といへるは其後の称なりといふ」(『新撰東京名所図会』)
この場所の北側に旗本堀家の分家利直(後に利尚、通称宮内)の屋敷があったことから、この坂は別名「宮内坂」と名づけられた。また、当地の名主鎌田源三の名から「源三坂」ともいわれた。「堀坂」という名称は、文政(1818〜30)の頃、堀家が坂の修理をして「ほりさか」と刻んだ石標を建てたことからいわれるようになった。
坂下に“こんにゃくえんま”の伝説で名高い「源覚寺」がある。(小石川二丁目3と21の間の坂) |
|