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延宝4年(1676)、御三家 尾張徳川家の御鷹場が中清戸(現 清瀬市)につくられた。将軍もしばしば出かけて鷹狩りを行った。これが現在の目白通りである。
首都高速道路(5号線)護国寺出入口(護国寺側)から目白通りに向かっての広い道は、昔から“清戸道に登る坂”ということで『清戸坂』といわれた。
江戸時代、この坂の北側一帯は、雑司ケ谷村の畑(現在の雑司ケ谷墓地)で、坂の道に沿って雑司ケ谷清土村百姓町があった。
明治10年代から坂の北側には牧場と牧舎が建ち、平田牧場と言った。牛乳を売る小売店があり、人々が休憩した。旗竿には、『官許の牛の乳』と仮名と、ローマ字で書かれていたという。 |
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