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『新撰東京名所図会』に「富士見坂の北(注・西)にある坂建部坂といふ。幕士建部氏の邸地あり因て此名に呼び做(な)せり」とある。嘉永3年(1850)の『江戸切絵図』で近江屋坂を見ると、建部坂の上り口西側一帯(現在の元町公園)に建部氏の屋敷が見える。直参、1400石で、880坪(約2900u)であった。
『御府内考』に次のような記事がある。建部六右衛門様御屋舗(やしき)は、河岸通りまであり、河岸の方はがけになっている。がけ上は庭で土地が高く、見晴らしが良い。がけ一帯にやぶが茂り、年々鶯の初音早く、年によっては12月の内でも鳴くので、自然と
初音の森 といわれるようになった。明和9年(1772)丸山菊坂より出火の節、やぶが焼けてしまったが、今でも初音の森と言っている。初音の森の近くで、一名初音坂ともいわれた。
<旧元町一丁目、旧元町一丁目> (昭和40年までの町名)
もとは本郷村。江戸初期は御弓同心の組屋敷であった。その後組屋敷は大塚あたりに移された。元禄4年(1691)徳川家康に従って三河から来た者たちがここに移った。
元禄9年町屋を開いたが、この辺の拝領地としては最も古い方なので、本郷元町とした。明治44年(1911)、本郷をとり元町とした。 |
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