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江戸時代には、社寺や大名屋敷は、ほとんど移転することもなかったので交通の重要な目印となっていた。この坂は昔、この地にあった小笠原壱岐守の下屋敷にちなんで壱岐殿坂と呼ばれていた。
当時、小笠原家は、九州佐賀県唐津6万石の大名でした。壱岐坂は、白山通り(本郷1丁目20・22の間)から上り、東洋女子短大の所で通称大横町へ至る細い坂道です。
(文京区土木部公園緑地課) |
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「壱岐殿坂」ともいう。 江戸時代からある古い坂である。近隣に屋敷があった武士の名前から坂名がつけられたとみられるが、江戸時代の地誌に「彦坂壱岐守」の屋敷があったことによって名付けられたとか、「小笠原壱岐守下屋敷」があったことによって名付けられたとかあって、江戸時代においても諸説がある(御府内備考)
この古い壱岐坂は、新しくできた大きな新壱岐坂に途中で分断される形となった。 (文京区教育委員会) |
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