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この通りは、戦災復興事業における付近一帯の土地区画整理によって、都市計画道路環状3号線の一部として造られた。
江戸時代、この辺りは松平播磨守の上屋敷だった。まだ、千川(小石川)が流れる低地一帯には「播磨田んぼ」が広がっていたことから、新しくできたこの坂を「播磨坂」と呼ぶようになった。 |
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立派なさくら並木(現在127本)は、昭和35年(1960)に「全区を花でうずめる運動」で植えられた若木(樹齢15年)が育ったものです。昭和47年(1972)からは、毎年4月初めに「文京さくらまつり」が行われ、多くの人々に親しまれている。平成7年(1995)3月には、全体が「水と緑と彫刻のある散歩道」として整備され、年間を通じて楽しめる新しい名所となった。
<旧久堅町>
もと、小石川村の内で、元和年間(1615〜24)以後町屋を開いた。明治2年、橋戸町、久保町、宮下町飛地、門前町(宗慶寺・善仁寺)、松平播磨守屋敷跡や旗本屋敷跡などを合併した。町名は、永久の町の発展を願って久堅町とした。
戦後造られた環状3号線の坂名は、ここに屋敷のあった松平播磨守(常陸府中・水戸家支藩)にちなんで、播磨坂と名付けられた。町の人の努力で育てられた桜並木は、花の名所となり毎年桜まつりが行われている。
上の画像2枚は、左右の道路の中央にある散策路。 |
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