|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
桧原湖(ひばらこ)は、磐梯地域地域最大の湖で、最大水深31m、湖岸周31.5kmある。夏のバスフィッシングや冬の氷結した湖上でのワカサギ釣などで知られている。
<戦国時代の桧原地区>
16世紀の戦国時代には、会津領主の葦名氏の家臣穴沢氏が、この地域を治めていた。米沢方面を治めていた伊達氏の軍勢が、たびたび米沢街道を通り桧原峠を越え、この地に侵攻してきた。しかし、その度にこれを撃退し、会津を死守することにより、伊達氏による会津制覇の野望を阻止した。
<磐梯山噴火>
明治21年(1888)7月15日午前7時45分、磐梯山が突然大爆裂を起こし、小磐梯(約14億5千万?、約30億t)を一瞬のうちに吹き飛ばし、死傷者524人(内死者477人)、被害面積約110?の大被害を受けた。現在は、この大爆裂による大小300余の湖沼群発生等によって磐梯朝日国立公園となり、裏磐梯の美しい自然景観が、訪れる人の心に感動を与え続けている。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
<旧米沢街道>
会津と米沢を結ぶ会津五街道の一つであり、古くから重要な街道だった。特に、近世においては軍事や商業用として利用されていた。現在では、これらの役目は別の新しい道路に移っている。
<桧原地区>
15世紀末ごろから旧米沢街道の宿場町として桧原集落を中心に発展し、検断・問屋・住家などが軒を連ね、江戸時代には秋田・庄内・米沢地方の産物を江戸に運ぶ大動脈であった。桧原宿場町跡は、磐梯山噴火により湖底に沈んだが、現在でも大山祇神社の鳥居の一部が桧原湖の湖面に現れている。 |
|
|
|
<小谷山砦跡>
天正13年(1585)出羽国伊達政宗が会津進攻の際に、桧原の守将・穴沢一族を討って小谷山に築城し、後藤孫兵衛を城番として守らせた山城であり、桧原城ともいわれている。
<桧原金山精錬所跡>
金山集落のはずれにあり、金山最盛期には人夫関係小屋500軒も立ち並んでいた。精錬所は江戸時代末期を経て、明治末ごろまで利用されていた。 |