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<紫式部>
紫式部は『源氏物語』54帖の作者として知られる女流文学者。ここ宇治川の畔一帯に華やかな貴族文化の花が開いた王朝時代に登場した才媛とは知られていても、その生涯には謎が多く、生・没年さえ正確にはわかっていない。999年頃藤原宣孝と結ばれたが宣孝の死後寡婦生活の日を送り「源氏物語」の執筆はこの頃から始めたらしい。
やがて今をときめく左大臣藤原道長から一条天皇の中宮になった娘の彰子の女房として仕えるようにと召し出され、宮仕えの身となる。
『源氏物語』が当寺の宮廷社会の実情をリアルに描写し、因果応報の人生観を有する人間性を追求した長編にまとめられているのは、紫式部自身の境遇によるものであろうと思われる。
紫式部には、女房として宮仕えをしていたころの生活を綴った『紫式部日記』(1008秋〜1010春)や、歌人としての非凡な才能が知られる『紫式部集』があり、当寺の公家の様子を伝える貴重な遺作となっている。 |
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紫式部が11世紀に書いたといわれる源氏物語は全体で54帖からなっているが、45帖から54帖までは、宇治を主要な舞台にしていることから「宇治十帖」と呼ばれている。
物語の前半部分は華やかな宮廷生活を舞台に、光源氏と彼をとりまく女性たちの織りなす様々な人間関係が華麗に描かれているが、これに対して「宇治十帖」は、光源氏亡き後、子の薫、孫の匂宮(におうのみや)と大君(おおいきみ)、中君(なかのきみ)、浮舟の3人の姫君の切なくもはかない悲恋の物語が描かれており、「橋姫」「椎本」(しいがもと)「総角」(あげまき)「早蕨」(さわらび)「宿木」(よどりぎ)「東屋」(あずまや)「浮舟」「蜻蛉」(かげろう)「手習」「夢浮橋」の各帖で構成されている。
源氏物語はフィクションだが、宇治川の周辺には源氏物語を愛する人々によって、いつの頃からか宇治十帖の各帖にちなんだ古跡が設定され、当時と変わらぬ宇治川の清流や木々の緑、静かなたたづまいを見せる周辺のまちなみと相まって、訪れる人々を源氏物語の世界へ誘ってくれる。
宇治十帖モニュメントは、浮舟と匂宮が小舟の上で愛を語り合う場面をモチーフに、宇治十帖の象徴として平成7年(1995)3月に建てられた。 |
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源氏物語 宇治十帖(四)
<早蕨>(さわらび)
年改まり、宇治の山荘にも春が来た。今年も山の阿闍梨から、蕨や土筆(つくし)などが贈られてきた。
中君は亡き父君や姉君を偲びつつ
この春はたれにか見せむ亡き人の
かたみにつめる峰の早蕨
と返歌なさった。
二月の上旬、中君は匂宮の二条院へ迎えられ、行先の不安を感じつつも、幸福な日々が続く。
夕霧左大臣は、娘の六君を匂宮にと思っていたので、失望し、薫君にと、内意を伝えたが、大君の面影を追う薫君は、おだやかに辞退した。
花の頃、宇治を思いやる薫君は、二条院に、中君を訪ねて懇(ねんご)ろに語るが、匂宮は二人の仲を、疑い始める。 |