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総武線両国駅から回向院に向かう道路ぎわに設置されている土俵入りの像。栃錦・初代若乃花・吉葉山・千代の富士の横綱の手形もあった。その中に吉葉山の名があり懐かしかった。。 |
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両国には、両国国技館、相撲部屋、江戸時代に勧進相撲を執り行った回向院、相撲に関係した土産屋、グッズ店などがあり相撲の街といった感じがする。国技館の隣には江戸東京博物館がある。
<時津風部屋>(時津風一門)
師匠は、16代・時津風正博(元前頭・時津海)。昭和17年(1942)、当時現役であった第35代横綱・双葉山定次が、その実績を評価され、二枚鑑札の形で現役力士のまま弟子の育成を許され、「双葉山相撲道場」を開いたのが、現在の時津風部屋創設につながっている。
幕内最高優勝12回(内、全勝8回)、いまだに破られない歴代最高記録の69連勝など、輝かしい聖跡を残した双葉山は、太平洋戦争終戦直後の昭和20年(1945)11月場所後に引退、12代・時津風を襲名、双葉山道場の名を時津風部屋に変更した。双葉山道場の看板は、現在も掲げられている。
12代・時津風は、昭和43年(1968)12月16日、満56歳で死去するまでの間、約11年間にわたり、第3代相撲協会理事長を務めるとともに、一横綱(鏡里・・・13代・時津風)、三大関(大内山、北葉山、豊山・・・14代・時津風。第8代相撲協会理事長)をはじめ、多くの力士を育成した。 |
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