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基町の複合施設「パセーラ(基町クレド)」1階の「基町クレドふれあい広場」の景観。4k対応の265型街頭ビジョンも併設されている。都市における安心安全な飲食やライフスタイルを考えた新たな空間づくりに取り組む。
パセーラ(pacela)とは、paseo(散歩道)celeste(天空)ala(翼)から誕生したもの。 |
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<広島城大手郭(外郭)跡>
広島城は、安土桃山時代に中国地方一帯を領していた毛利輝元が、瀬戸内海へと流れ込む太田川の三角州に気づいた平城です、天正17年(1589)に築城が開始され、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの後、毛利氏に代わって入城した福島正則が外郭の堀・櫓などの整備を実施した。その時の姿が元和5年(1619)に入城した浅野氏に受け継がれ、ほぼ明治時代まで維持された。
江戸時代の広島城は三重の堀に囲まれた広大な城であり、その規模は東西・南北ともにそれぞれ1q余もあった。また、全国有数の櫓の多い城であり、その数は88基もあった。
大手郭は、広島城の南側から東側にかけて位置する鈎括弧(かぎかっこ型)(』)の曲輪(郭)であり、江戸時代には、家老・重臣など身分の高い武家の屋敷があった。旧大手郭内や大手郭沿いの外堀数カ所で行われた発掘調査では、武家屋敷跡や櫓台石垣が確認されたほか、安土桃山時代から江戸時代初期に作られた金箔瓦も出土している。 |
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