|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
小樽運河は、沖合を埋立てて出来た運河(水路)で、大正12年(1923)に完成した。
<小樽と日本海航路>
日本海航路が本格的に開かれたのは、約180年前の文化、文政の頃で、1枚帆の弁財船が主役だった。明治期となり様式帆船が増え、しだいに大型の汽船も入港し、海陸の拠点として小樽の地位が高まってきたことから、港も本格的な整備が必要になり、明治41年(1908)には北防波堤が完成した。それ以後、船は港内のブイにもやうことができ、ハシケ荷役も安全に行われるようになった。
港の整備はさらに進み、昭和7年(1932)には港町岸壁が完成、船は接岸して荷役ができるようになった。
運河沿いの通りには「おれの小樽」昭和57年(1982)唄:石原裕次郎の歌碑がある。
次は冬の小樽運河の景観です。 |
|
|
|
|
|
船荷は、かってハシケに積まれ、運河沿いに並ぶ石造倉庫と、港内の船との間を運ばれていた。その荷を肩に積み下ろしをするのが仲仕で、沖仲仕、陸仲仕、倉仲仕、木材仲仕などに分かれていた。力のいる仕事で、米2俵をかついで、やっと一人前といわれていた。
港の貨物は、始めは石炭や木材が主で、右に描かれている手宮の石炭桟橋が大いに活用されたが、開拓が進むにつれ農産物も増え、仲仕の活躍する場も広がり、仲仕は小樽の働き手の代表といわれていた。 |
|
|
|
|
|
6月に再訪する(再々訪)。相変わらず観光客で賑わっている。雪に覆われていた前回とは雰囲気が変わっており、四季おりおりの情景を感じる。 |