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<「まよひ子志らせ石」由来> (迷い子知らせ石)
この石柱は、明治十二年、当時の長崎県警察課、警察署に在勤する軽侮一同によって建立された。
当時ここら一帯は氏神を詣でる庶民の往来で賑わったが、時には人ごみにもまれて親を見失う子等も少なくなく、不安に泣き叫ぶその姿が道行く人々の憐を誘った。
この実情を見かねた数名の警部は互いに資金を寄せ合ってこの石柱を建て、親と子の安心を念願したのである。
雑踏で子とはぐれた親は、北面の「たづぬる方」石面に住所と子の名を書き記し、迷い子を見かけた人はその子の手を引いて、子の名、年齢、特徴等と共に、わが名、住所を南面の「おしゆる方」石面にしたため、親の姿を待った。
やがて子は再び親の懐に抱かれ、人びとの暖かい思いやりに涙を流して手を合わせしっかりと手を握り合って去るその姿は数知れなかったといわれる。
昭和六十二年七月 長崎県警察 (諏訪神社にて) |
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