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赤穂城近くの町並みの景観。歴史を感じる伝統的な建物が点在する。商店などの新しい建物も景観に配慮した外観を工夫している。 |
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赤穂の城下では、海に近かったため地下水が飲用できず、元和2年(1616)に熊見川(現在の千種川)の7q上流から取水し、そこから城下まで水を引いて飲用とした。
赤穂城下町の北端である場所には「百々呂(路)屋裏大枡」と呼ばれる2間(約4m)四方の石組大枡があった。大枡の手前では、余水を東の熊見川に戻す水量調整のほか、竹簀(たけす)によるゴミの除去がなされたという。
大枡では、北から開渠(かいきょ)で導水されていた川水の砂等を沈殿させて浄化し、これより南は暗渠となって地下を通し、瓦管、竹管、木樋、土管、陶管などによって城下、城内、各戸に給水されていた。
歩道に黒色で示された方形の区画は、発掘調査で確認された大枡の位置を示したもので、区画内にある長細い石材は、大枡の一部を移設保存したもである。 |
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