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「寝覚の床」は、木曽川の激流が花崗岩の岩盤を長い年月にわたって浸食してできたもので国の史跡名勝天然記念物に指定されている。岩盤に見られる水平方向と垂直方向に発達した方状節理(割れ目)やポットホール(欧穴・対岸の岩にあいた丸い穴)は、日本でも代表的なものです。
また、俳人正岡子規が「誠やここは天然の庭園にて−−−仙人の住処とも覚えて尊し」と感じ入ったこの絶景は、古くから浦島太郎の伝説の舞台としても有名です。龍宮城からもどった太郎は、諸国を旅してまわり、途中で立ちよった寝覚の里の美しさにひかれて、ここに住むようになった。ある日、昔を思い出して岩の上で玉手箱を開けてみたところ、中から出てきた煙とともに、見る見る太郎は三百歳の老人になったと伝えられている。岩上の松の間にある小さな祠は、その浦島太郎をまつる「浦島堂」である。
<浦島太郎の伝説>
こんな山の中に、浦島太郎の伝説があるなんて、ちょっとおかしいことであるが、浦島太郎が龍宮へ行ったという話は、やはり海岸のことで、今の京都の天の橋立である。この海岸で亀を助けてやり、その亀につれられて、龍宮へ行ったのであるが龍宮での話や、龍宮から帰って来るまでは、おとぎ話にある通りである。
ところが、帰ってみると、親、兄弟はもちろん、親族隣人誰一人として知っている人はなく、我が家も無いので、そこに住むことが出来ず、昔のことで何処をどう通ったともなく、この山の中にさまよいこんで来た。
この木曽路の風景に淋しい独りをなぐさめられながら、好きな釣りをしたり、或いは村人に珍しい龍宮の話をしたりして暮らして居ったところ、ある日のこと、フッと思いついたように、土産にもらってきた玉手箱をあけて見たらば、一ぺんに三百歳のおじいさんになってしまい、ビックリして眼がさめた。眼をさましたというのでここを寝覚という。
ところで、ただでさえ変わったこわい人だと思っていた村人は、この有様に驚いて近寄らないようになってしまったので、ここに住むことも出来なくなり、その行方を消してしまったのである。その跡を見ると龍宮から授かってきた弁財天の尊僧や遺品があったので、これを小祠に納め寺を建ててその菩提をとむらったという。約1200年前のことである。今の寝覚山臨川寺がその始まりである。 |
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<謡曲と木曽路の寝覚の床>
木曽路随一の景勝地「寝覚の床」は、昔役の行者が修行した地で、不老長寿の霊薬が採れたとの伝承から、浦島太郎や三帰(みかえり)の翁の不老長寿の伝説が生まれた。
謡曲「寝覚」では、長寿の薬を三度飲んで三度若返り千年生きたという三帰の翁のところに、霊薬を貰いに勅使が遣わされる。三帰の翁は実は医王仏の仮の姿で、喜んで霊薬を天子に捧げる。
謡曲「飛雲」では、羽黒山の山伏が木曽路を旅して老いに疲れた老人に逢う。夜が更けると老人は鬼神と化し、盤石を砕いて襲いかかり、山伏は必死に経を読み、役の行者に祈って鬼神を退ける。
ひる顔にひる寝せふもの床の山 |
芭蕉 |
旅なれば泊りもはてず行くもをし寝覚の床を見帰りの里 |
沢庵禅師 |
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