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五色沼と同じように明治20年(1887)の磐梯山の爆発により、土砂が川をせき止め、多くの湖沼が出来た。中瀬沼もその一つである。この沼や中瀬沼探勝路は、五色沼と違って観光客が大変少ない。静かに沼巡りをするにいいところである。
中瀬沼は、水面を覆うように広がる樹木、水面に映る木々が美しい。また、沼の後背には磐梯山がどっしりと横たわっている。 |
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紅葉の木立から見え隠れする中瀬沼。中瀬沼探勝路の紅葉も美しい。 |
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<中瀬沼探勝路> |
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<裏磐梯の噴火>
磐梯山は、那須火山帯の一隅にあって、吾妻山、安達太良山などとともに一大火山帯をなしている。
磐梯山は、洪積世の終わりに近づく頃、すなわち10万年前あたりから火山活動が始まって次第に火山体をつくりあげていった。その後、おそらく数万年前と思われる時期に大噴火を起こし流失した堆積物は当時の河川をせき止めて猪苗代湖を誕生させていった。
有史後の大噴火は、大同元年(806)の大噴火と明治21年(1888)の2回の記録があり、明治21年の大噴火によって、大磐梯に匹敵するほど標高があったと思われる小磐梯が崩壊し、膨大な火山泥流をつくって山麓を襲い、五ヶ村百数十戸が泥流に埋もれたり、水没したといわれている。また、大噴火により発生した疾風の被害も記録されている。この噴火により現在の裏磐梯の地形となった。
流れ落ちた火山泥流は、無数のマンジュウの形をした大小様々なかたまりをつくり桧原湖岸の島々や、凸凹に富んだ地形となった。 |