|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
祇園辺りで最も祇園情緒にあふれている通り。四条大橋から鴨川沿いに北に向かい、「せせらぎの道」の表示のあるところから右に折れ東に新橋通、白川南道を歩く。
石畳の道、江戸から明治にかけてのお茶屋、旅館の建物、特に白川に架かる巽橋付近の景観に心惹かれる。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
<祇園新橋>重要伝統的建造物保存地区
この界隈は京洛の文化史に欠かせない祇園発祥の地である。約340年前の寛文10年(1670)祇園社領の中の弁財天町等の外六町正徳2年(1712)元吉町、末吉町等の内六町が開かれ今日まで一貫して繁栄してきた。
その間、江戸時代の町民の大衆文化の浮世草子、浄瑠璃、歌舞伎、音曲の舞台となり絢爛豪華を極め、今も伝統芸能として継承発展している。
現在では、白川が流れ町家造りの軒を連ねる新橋地区に限られ建築学上からも重要な文化財とされている。
この建物は元は井筒屋というお茶屋で幕末には長州藩士高杉晋作が芸妓小梨花と遊んだという口碑を伝えている。「なによくよくよ川端柳、水のながれを見て暮らす」などと三味線に合わして遊んだのでしょうか。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
平成元年(1989)11月14日、京都市長より市制百年を祝し、第1回京都市都市景観賞を受賞(地域の町並みと共存・共栄を最優先に考え文化の香り高い建造物としての評価)
毎年6月第1日曜日正午、比叡山明王堂大阿闍梨が切廻りの途中「辰巳神社」に立ち寄り。「放生会」の行事を行う。(放生会とは日々殺生がごとが多い我々の供養)この建物は放生会の行事が行われる際の御旅所になる。(ネクサス) |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
白川に沿って続く白川南道の一角に「かにかくの碑」がある。「かにかくに祇園は恋し寝るときも 枕の下を水の流るる」 |
|
|
|
|
|
巽橋から西を見る。右手の通りが新橋通、左手の通りが白川南道、間に挟まっているのが辰巳神社になる。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
新橋通はやがて東大路道に出る。交差点を渡ると知恩院への道になる。祇園からはここで離れる。この道は「智慧の道」と命名されている。
<智慧の道>
親しみ慕われる知恩院への道。それは法然さまに出会う道。そして、お念仏のみ教えをいただく仏さまの智慧をいただいて、老若男女すべての人が、明るく正しく仲よく生きることに通じる道。人生の疲れを癒し、生きる尊さ、喜びを素直にいただくことができる道。それがこの道。智慧の道。(説明文) |