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平安京開設時の町尻小路に当たる通り。平安時代中頃から官営の東西市が衰退し、この通と東西道路の交差点を中心とした地域が新しい商業の中心地として発展したが、豊臣秀吉の京都大改造後には新町と呼ばれるようになった。 |
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今出川通りから新町通に入る。新町通に入ってすぐ漬物屋を見かける。土産物店風の漬物屋が目立つ中で、何かしらほっとした気持ちになる。近所の主婦らしい人たちが何人か来店していた。漬物屋を後に南下する。
右手(西側)に小さな社が見える。狛犬の横の柵に柴犬がつながれている。何だろうと思ってのぞくとおじいさんが落ち葉をかき集めている。拝殿の前にお嫁さんと新郎が並んでいる。関係者らしき人は2人しかいない。静かな結婚の誓いか。仰々しく騒がしい結婚式よりはるかに気持ちがこもっている。幸せに、と心でつぶやく。 |
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上長者町通を越すと白壁の土蔵が目に入る。澤井醤油本店である。土蔵の横の門が開いているので見ると大きな樽が並んでいる。表に回って玄関を入るとこれまた大きな醤油樽が置かれている。 |
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のれんウオッチングを楽しみながら一路南下していく。 |
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大きな交差点にさしかかる。御池通である。御池通を越すと道際に二宮金次郎像や道路標示の上に乗って腕組みをするカエルなどがある。 |
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平井産業のひときわ目立つ建物に近づく。京都市歴史的意匠建造物に指定されているだけあって目が釘付け。飾りガラスの窓、壁の色、のれんなど何枚も写真を撮る。店先にあるポストにもいわれがある。
<郵便差出箱一号丸型>
昭和24年(1949)に全国に普及した「郵便差出箱一号丸型」と言う名称の郵便ポストです。高さ135p、直径40p、重さ80sの鋳鉄製で、昭和60年(1985)に約15万個設置されていたが、現在では保存用に残すのみとなった。これはその内の1つで、京都で最初に設置されたこの地を記念して、永く文化的に保存するものです。
郵便差出箱第一号丸型保存会 |
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大きな屋根看板、印象深いのれん、歴史的建造物である松坂屋、京菓子店など興味がつきない。店先にも人目をひくものがある。 |
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放下鉾(ほうかぼこ)の会所が左手(東側)にある。千本格子が美しい。
<小結棚町会所>(放下鉾)
小結棚町は、祇園祭のとき放下鉾を出す町内である。町会所は、通りに面した会所家と、その奥にある土蔵から構成されている。
慶応3年(1867)に造営された会所家は、昭和52年(1977)から昭和54年(1979)に大修理が施されて表構えが復原され、当初のおもかげをよく伝えている。また、一階天井には、二階から直接鉾の上に渡るための廊下が収納され、祭りの時には引き出せるよう工夫がこらされている。土蔵は、嘉永2年(1849)の造営で、各階に出入口をもち、祭りのときは土蔵の二階から会所家二階の裏縁にかけて、長大な木製の渡廊がかけられる。
この町会所は、よく保存されており、祇園祭町会所の典型例の一つとして価値が高く、昭和58年(1983)6月1日、京都市指定有形文化財に指定された。 |
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四条通にさしかかる。四条通の大きな交差点を渡り道は南に続いている。やがて松原通に達し少し行ったところで新町通の散策は終わることにした。素晴らしい町家に出会い、しばし足が止まってしまった新町通であった。 |