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平安京の朱雀大路にあたるのが千本通。朱雀大路は往時のメインストリートである。道沿いには大極殿跡などの史跡が見られる。
<大極殿跡>
平安京で最も重要な施設である朝堂院の正殿「大極殿」は、平安京遷都の翌年、延暦14年(795)には完成。天皇の即位式のほか、正月に行われる朝賀や御斎会(ごさいえ)、外国使節の謁見など、国家の重要な行事がここで行われた。
弘仁6年(815)には、地方から19,800人余りの役夫が動員されて大掛かりな修理が行われ、このとき初めて屋根に緑釉(りょくゆう)瓦が採用されたものと考えられる。
その後、貞観18年(876)4月16日夜半の火災で焼失。元慶3年(879)10月に再建(第2次)されたが、康平元年(1058)2月26日に再び火災が発生し、応天門と左方の楼を残して焼失。さらに延久4年(1072)4月15日に再建(第3次)された大極殿も、安元2年(1177)4月28日に焼失し、以後は再建されなかった。
創建当初の大極殿は、東西11間、南北4間の寄棟造の建物とみられ、基壇の大きさは推定東西59m、南北24m、朱塗りの柱や組物、屋根の大棟両端には鴟尾(しび)をのせ、軒先や棟には緑鮮やかな緑釉瓦で縁取りされた豪壮華麗な建物であった。
大極殿の位置は、最近まで千本丸太町交差点の北側付近と推定されていたが、近年の発掘調査で、朝堂院内のいくつかの建物跡が見つかり、さらに建都から1200年目にあたる平成6年(1994)には、初めて大極殿の基壇跡が地表下0.6mで確認されm現在ではほぼその位置が明らかとなっている。 |
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JR二条駅から千本通の散策を始める。大きな通り(千本通)を一路北上する。
『京都市では平成2年3月から、二条駅周辺地区において実施した二条駅周辺整備事業に伴い、地区内にある数多くの埋蔵文化財の発掘調査を京都市埋蔵文化財研究所の協力を得て実施してきた。
二条駅周辺事業の対象となった範囲は平安京(大内裏)のすぐ前面、平安京右京三条一坊の東半にあたる。この地域には「穀倉院」・「右京職」・右大臣藤原良相(よしみ)の邸宅「西三条第(百花亭)」や、平安京の中央を南北に貫く朱雀大路をはじめとする平安京の街路など、歴史的に重要な施設や邸宅の推定地が所在している、一連の調査ではこういった遺跡にかかわる遺構・遺物が多数発見された。』と駅前にある遺跡関係の解説に記されている。
道際に「西町奉行所跡」「此附近平安京大内裏朱雀門址」の石碑がある。 |
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朱雀高校を過ぎると右手に出世稲荷神社がある。珍しい名前に惹かれて参拝する。 |
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丸太町通との交差点には朱雀大路の表示が見られる。交差点を渡り少し進むと左手に「大極殿遺址」の大きな石碑に出会う。そこで右に折れると満開の桜に囲まれた大極殿跡の石碑がある。
<大極殿跡>
この一帯は、平安京の中心大内裏跡で、朝堂院の正殿大極殿がこの付近にあった。朝堂院とは、朝廷の儀式が行われる中心場所で、周囲を廻廊でとりかこみ、南は朱雀大路に向かって応天門が開かれ、北に昭慶門があり、中に12の建物が東西対象に配され、北中央に南面して大極殿があった。大極殿は朝堂院の正殿として、即位をはじめ、毎年の朝賀、斎会など国家の最も大切な儀式が行われた御殿である。
現在、左京区岡崎にある平安神宮の建物は、朝堂院の面影を復元したもので拝殿は大極殿を模している。ただし大きさは昔の約三分の二である。 |
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上長者町通の交差点を渡り左に折れる。五番町を見たかったからである。水上勉の「五番町夕霧楼」の舞台であり、現在は何の関係もないが、かつての花街だったところである。 |
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下立売通との交差点を渡り、北に更に歩く。豆乳プリンの店があり、しばし足を止める。 |
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老舗の店構えはなかなかいいものだと見とれる。 |
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店構えに人を惹きつけるものがある。歴史に鍛えられた何かがあるのだろう。足を止める機会が多くなる。五辻通との角にある「近為」は、明治12年(1879)創業の京漬け物の専門店である。 |
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昆布の専門店がある。昆布といってもお徳用から高級品まで実に多くの種類がある。参考までに見せていただく。 |
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釘抜地蔵と親しまれている石像寺(しゃくぞうじ)の参道が見えてくる。弘仁10年(819)空海(弘法大師)が開創したと伝わる。現在は浄土宗の寺院になっている。このお地蔵様には苦しみや痛みを抜き去るご利益があるとのこと。
本堂の外壁には、八寸釘が2本と釘抜きを取り付けた絵馬がびっしりと張り付けられている。苦しみ、悩みは釘が刺さったようなものだろう。お参りして釘抜きで釘を抜き去れば苦しみから解放される。そういうことなのだろう。多くの人が苦しみから解放された感謝の気持ちがこの絵馬から見て取れる。
釘抜地蔵の参拝を終え、北に進む。寺之内通まで来たところでこの散策は終える。千本通は更に北に続いている。 |