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1580年頃から大規模に進められた、豊臣秀吉の京都大改造に開かれた通り。三条通近辺に釜を鋳るものが多く住んでいたことから、釜座通と呼ばれるようになった。 |
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京都府庁を後にして、釜座通を南に進む。右手に「こぬか薬師」がある。
<こぬか薬師>
鎌倉時代の寛喜2年(1230)の冬、疫病が大流行し、命が奪われた。当時の薬師院の住職の夢の中に本尊の薬師如来が現れ、「一切病苦の衆生、わが前に来れば諸病ことごとく治癒するであろう。早く来ぬか(来なさい)、来ぬか」と告げた。住職は大変感激し、世間にこのお告げを広め伝えた。すると京都はおろか、遠い国からも参拝者が訪れ、参拝者の疫病諸病が消えたそうです。それ以来、人々はご本尊の薬師如来を「不来采薬師」「こぬか薬師」と呼ぶようになった。
また一説によると、この辺りの女性は鹿子(かのこ)髪を結う人が多かった。その女性達に信仰が厚かったことから鹿子薬師、それが訛って「こぬか薬師」となったそうです。 |
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こぬか薬師を後にして更に南に進む。大きな道幅の広い御池通にさしかかる。 |
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雨があがったばかりの中をやや急ぎ足で進む。 |
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釜座通は、千家十職の一つ釜師の美術館である「大西清右衞門美術館」前で行き止まりになっている。ここでは、代々の清右衛門の茶の湯釜の作品や釜の伝統と様式を公開している。釜師の表示を見つけて釜座通の由来に納得する。 |