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平安京の一条大路にあたる通りで、安京の北端の通りであった。現在は京都市の主要な東西の通りの一つになっている。堀川にかかる一条戻橋が有名である。かつての大路も現在は非常に狭い通りになっている部分もある。 |
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烏丸通の乾御門より少し南、和菓子の老舗虎屋の角から一条通に入る。ここを基点に西に向かって歩く。室町通を越したところに本田味噌本店がある。 |
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油小路通を超えたところに「一条下り松遺跡」の石碑がトタンの覆いに隠れるようにしてある。宮本武蔵との決闘で知られる吉岡一門の道場があった所である。この石碑の向かい側(南北の通りの反対側)には「小野小町双紙洗水遺跡」の石碑がある。この石碑はブロック塀の角にあるのでわかりやすい。小野小町が遣り水で双紙をすすぐと、大伴黒主が加筆した文字が流れ消えたと伝えられる。 |
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正面に見える左右の大きな通りが堀川通になる。その手前に一条戻橋がある。右上の戻橋の画像は、今まで歩いてきた方向(東向き)に向けて撮る。
<一条戻橋>
延喜18年(918)、文章博士・三善清行が亡くなった時、父の死を聞いた子の浄蔵が紀州熊野から京都に馳せ帰ってみると、その葬列は丁度この橋の上を通っていた。
浄蔵は柩にすがって泣き悲しみ、神仏に熱誠をこめて祈願したところ、不思議にも父清行は一時蘇生して父子物語を交したという伝説から戻橋と名付けたという。
太平記、剣の巻によれば、その頃、源頼光の四天王の一人であった渡辺綱が深夜この橋の東詰で容姿美しい女子にやつした鬼女に出逢ったという伝説もあるところである。 |
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堀川通を渡る。ビルの間の狭い通りが一条通である。猪熊通を越すと黒田如水邸跡の石碑がある。黒田如水は、豊臣秀吉の側近として仕えた武将で、黒田官兵衛のことである。 |
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この辺りは西陣のエリアになり、通りの左右には小さな祠が飾られているのが目に入る。所々に時代を感じさせてくれる建物もある。 |
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千本通の近くまで来る。左手に西陣京極(西陣商店街)のアーチ形の看板がある。静かな佇まいの商店街であった。昔はさぞ賑わったことだろう。千本通まで歩いてくる。一条通はまだ西に続いているが、今回の散策はここで終わりとする。 |