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平安京開設時の富小路に当たり、貴族の邸宅が並んでいた。応仁・文明の乱で荒廃したが、1590年頃から大規模に進められた豊臣秀吉の京都大改造により再整備された。豆腐、麩、麺類を商う人が多数住んでいたことから麸屋町通と呼ばれるようになった。 |
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丸太町通から麩屋町通に入る。五条通に向かって南下する。右手に大福寺が現れる。大福寺は通に面して僅かばかりといった感じである。少し進むと白山神社が見えてくる。
<大福寺>
初め推古天皇の御代大和国宮田郷に建立され、室町時代の初めに京都に移されたという。正式には、瑠璃光山利生院大福寺。天台宗の寺で朝家の尊信極めて篤かったが、天明年間に炎上して今は僅かにそのおもかげをとどめるばかりである。本尊菩薩薬師は聖徳太子の作といい、京都十二薬師の一つに数えられる。また、京都七福神第七番として布袋尊(ほていそん)をまつる。
毎年正月には、商家の大福帳に宝印を授與する習わしがある。境内には幕末勤王の志士梅田雲濱(うんぴん)の遺蹟がある。雲濱は若狭の人で、つとに尊王の志を抱き京に出て同志と交え国事に奔走したが、安政の大獄に吉田松陰、橋本左内、頼三樹三郎と共に捕らえられた。この旧跡は雲濱が仮寓して妻女を迎えたところである。
<白山神社>
社伝によれば平安末期の治承元年(1177・高倉天皇御代)加賀白山社の僧徒は神輿三基を担いで強訴に及んだが、その願いが聞き入れられなかったので担いで来た神輿を路上に放り出して帰山した。
この神輿一基を祀ったのが当社の起こりと伝えられる。祭神は夫婦和合、家運繁昌、子孫長久を守る神徳があり、更に後桜町天皇歯痛で悩まれた時、女官が当社神箸と神塩を受け病歯につければ忽ちに平癒せられたと伝わる。この古事により歯痛快癒の神として崇敬され、また幼児食初めにこの神箸を用いれば無病息災の成長叶うともいわれている。境内には末社として、猿田彦大神、白菊大神、天満宮を祀る社がある。毎年9月19日(例祭)に近い土・日曜日に祭りが執り行われる。 |
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白山神社のはす向かいに「湯波半老舗」がある。仕事は終わって片付けに入っている時であった。店先には、かごにはいった湯葉があった。やがて大きな交差点「御池通」に出る。 |
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御池通を越すと左右に趣のある旅館が並んでいる。右側(西)に柊家旅館、左側(東)に俵屋旅館である。水を打っている(流している)方に「こまどめ」の説明を聞く。 |
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御池通から三条通にかけては老舗旅館や飲食店が並んでいる。建物に風格を感じ、京都情緒豊かな小路である。
<弁慶石>
この石は弁慶が熱愛したといわれ、弁慶は幼少の頃三条京極に住み、死後この石は奥州高舘の辺にあったが、発声鳴動して「三条京極に往かむ」といい、その在所には熱病が蔓延したので土地の人が恐怖し、享徳3年(約500年前)三条京極寺に移し以来当町を弁慶石町と称するに至った。
その後市内誓願寺方丈の庭に移ったが、明治26年(1893)3月町内有志者により当町へ引き取られ、昭和4年(1929)7月12日この場所に建立された。
<草紙屋・八文字屋>
この地は、江戸時代前期(17世紀後半)には「麩屋町誓願寺下ル町」といい、八文字屋という本屋の店舗があったところです。
当時の本屋は、典籍・草紙類の版元(発行者)でした。印刷(木版刷り)と製本(和綴じ)、そして、販売をも業とする出版物発行の総責任者だった。
日本の出版業は、江戸時代の初め頃に京都で始まり、江戸、大坂でも盛んになっていくが、明治の時代になるまでは、京都が出版において日本第一の都市であった。
江戸時代初期の京都では、仏書・儒書・漢詩文書・和学書・和歌書・医書・さらに俳諧書・教科書・遊芸書などが出版されていたが、江戸中期頃になると、一般庶民を読者にした劇書や噺本などの出版も盛んになってくる。
八文字屋では二代目・自笑(通称、八左衛門)の代となると、歌舞伎芝居の筋書きを読み物にした「絵入狂言本」や、「役者評判記」という当時の歌舞伎役者の評判を、毎年、新版で発行し、劇書では第一の版元になる。これに加えて、江島其碩の「けいせい色三昧線」や「傾成禁短気」などの「浮世草子」という大衆小説本を、詠みやすい文字と著名な浮世絵師の挿絵入りで出版して、ベストセラーとなり、文学史上「八文字屋本」と呼ばれる時代を築いた。その小説作法は江戸後期(18世紀後半頃)の小説本や、明治時代の小説などにも大きな影響を与えた。 |
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六角通を越すと時代を感じさせる革島家住宅がひときわ目立って建っている。いわゆる洋館という建物である。蛸薬師通を越すと、錦小路通と交差する。錦市場には大勢のお客さんで賑わっている。 |
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錦小路を越し、さらに南下する。松原通と交差する左手(東)に北向不動寺がある。青蓮山と号し真言宗東寺派の寺で、俗に松原不動という。朱雀年間、道観大徳が開基した法相宗の寺であったが、のち弘法大師が自作の石仏不動明王を安置してから現宗に改まった。
ここから少し歩くと五条通に出会う。ここで麩屋町通の散策は終わる。京都情緒を感じることのできる散策であった。 |