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仏光寺の名前がそのまま通り名になっている。平安時代には五条坊門通と呼ばれていた。壬生寺辺りから仏光寺までを歩く。 |
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新撰組が訓練をした壬生寺を後にして東を進む。壬生寺の近くには、新撰組の屯所で知られる八木邸がある。その関係は坊城通を参照してほしい。 |
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自転車の看板を掲げた家があった。自転車屋をやっているのかどうか不明な雰囲気であったが、ショーウィンドーの中に主に細木で作った自転車、三輪車、一輪車などが雑多に並べられている。不思議な雰囲気が漂う空間である。 |
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<管大臣神社>(かんだいじん)
祭神 菅原道真公、尼神・大己貴命
社地は約一千年前、天神様すなわち菅原道真(845〜903)の紅・白梅殿という御邸や、菅家廊下と称する学問所の跡で、また道真、誕生の地と伝えられ、境内には産湯の井戸が保存されている。仏光寺通を中心に南北二町、東西一町が当時の御邸で、道真太宰府へ左遷に当たり
東風吹かばにほいおこせよ梅の花
主なしとて春なわすれそ
と詠まれた飛梅の地である。
神社は道真没後間もなく創立されたが、度々兵火にかかり、鎌倉期には南北両社に分かれ、当社を天神御所、白梅殿社、北社を紅梅殿社と呼んでいた。応仁の乱後慶長19年に、菅家ゆかりの曼殊院宮良怒法親王により再興され、今日に至っている。この間、天明の大火、元治の兵乱で再度焼失するが、現本殿は天保6年(1835)造立の三間社流造という下鴨神社の旧殿を、明治2年に移築し、その後幣殿を建立していわゆる八棟造(やつむね)をなしている。 |
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<与謝蕪村・宅跡(終焉の地)>
与謝蕪村は享保元年(1716)摂津国東成郡毛馬村(現大阪市都島区毛馬町)の豪農の家に生まれたと言われている。20歳の頃、一人江戸に下り早野巴人の内弟子となり俳諧の道を歩む。27歳師巴人が没した後、江戸を離れ関東・奥羽地方へ長い旅に出る。関東・東北地方を遊歴する事約十年蕪村は寛延4年(1751)36歳で京都に上り浄土宗総本山・知恩院の近くに居を得る。3年足らずで京都を去り、丹後宮津へ赴き浄土宗の見性寺に奇寓して本格的に画の勉強を始める。42歳で再び京都に戻った蕪村は姓を谷口から与謝と改め画を売って生活をたてる決心をし、やがて妻帯する。その後数箇所転居し、最後の住みかとなる「仏光寺烏丸西入町」に移り住み俳諧に絵画に豊麗多彩な作品を次々と生み出したのである。
蕪村の幻の日記に次のように記されている。
「安永3年11月某日(蕪村59歳の時)
近くの日吉神社の角を東へ曲がって仏光寺通り途中から南へ入って奥まったところに閑静の空家ありと、とも(妻)が見つけて、またその釘隠町へ身元保証の請状も通り、急に話がきまって三日前移転する。狭いながらに前より一間多く猫のひたいの庭に緑も少々あって、画絹ものびのびと拡げられる心地なり。我が家の前で路地は行き止まり、つきあたりに地蔵尊一体おわします。あしもとに濃みどりのりゅうのひげなど生い茂る。」
(注)昭和36年(1961)までここに路地があり、地蔵尊は昭和22年(1947)8月釘隠町町内会の創意で現在地へ移転されるまで路地の南の突き当たりにあった。蕪村宅(終焉の地)はこの路地の一番南(地蔵尊の前)に位置していた。
春の海 終日のたり のたり哉
菜の花や 月は東に 日は西に |
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烏丸通を渡ると左手(北側)に「豊園水」(右画像)の井戸枠が目に入る。
天正15年(1587)豊臣秀吉は政庁を二条の妙顕寺から新造した聚楽第に移し、聚楽第を中核として京都の城下町への改造に着手した。秀吉は聚楽第に続いて五条坊門高倉に籠臥城(りゅうがじょう)を造営した。その廷内の井戸から湧出する上質の水を豊園水と名付け茶の湯に用いた。
元豊園小学校の校名はこの豊園水に因んでつけられたものである。現在の豊園水は明治31年(1893)に学区内の人々によって修理され保存されたもので、井戸枠から当時を偲ぶことができる。 |
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<仏光寺>
仏(佛)光寺は、越後流罪に遭われた親鸞聖人が赦免された翌年建歴2年(1212)に京都に帰られ、山科の地に草庵を結ばれたことを起源としている。
親鸞聖人在世当時、真宗の教えは関東を中心に広がりを見せていたが、親鸞聖人が亡くなり、南北朝時代に第7世了源上人が、教化活動の拠点を京都に置き、西日本一帯の布教活動に力を入れた。
元応2年(1320)には、寺基を山科から今比叡汁谷(いまひえいしるたに、現・京都国立博物館辺り)に移し、天正14年(1586)には豊臣秀吉の懇請により、寺基を五条坊門(現在地)に移した。
京都の中心部に移転して400年余り、その間にも多くの苦難に見舞われたが、門末の念仏相続の懇念によって仏光寺の法灯は守り継がれてきた。 |