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四条通りの南側を東西に走る綾小路通を歩く。藤井大丸の角を南に進み、京都大神宮前を西に向かって歩いていく。綾小路通の印象の1枚は?と問われれば「杉本家住宅」である。(上画像)この堂々たる建物のもつ輝き、佇まいに惹きつけられた。町家として京都で最大規模の建物である。 |
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車1台がやっと通れるくらいの通りを歩いていくと、なにやら様々な物を並べ立てている店がある。町家とは程遠い雰囲気ではあるが、なぜか振り返りたくなる。
高倉通を過ぎると小さな神社がある。神明神社である。入口付近は提灯が飾られ人目を惹く。奥に(奥と行ってもすぐそこである)説明版がある。それによると御所に現れた怪物の鵺(ぬえ)を源頼政が退治した。その際に使った矢じりを奉納したということである。 |
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烏丸通の手前まで進む。老舗の雰囲気が漂う寛政元年創業とかかれたのれんのかかる田中長奈良漬店の店先、道の向こう側にある住宅。 |
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烏丸通を渡り西に進む。右手に大原神社、出世・縁結びの神社である。左手には本居宣長先生修学之地の石碑がある。本居宣長は、宝暦2年(1752)に上京し、堀景山に儒学を、武川幸順に医学を学んでいる。 |
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<杉本家住宅>
杉本家は、寛保3年(1743)以降「奈良屋」という屋号で呉服店を営んでおり、当初は四条烏丸付近にあったが、その後明和4年(1767)に現在地へ移ってきた。また、かつては西本願寺の勘定役を務めていたと伝える。
現在の主屋は元治の大火後に再建されたもので、棟札によれば明治3年(1870)4月23日に上棟されている。このときの当主は第6代新左衛門為賢、棟梁は菱屋利三郎と近江屋五良右衛門であった。主屋の北寄り、鍵型に並ぶ大蔵・隅蔵・中蔵は建築年代が不明であるが、元治の大火には焼け残ったと伝える。
主屋は、表通りに面する店舗部と裏の居室部を取合部でつなぐ表屋造りの形式となっている。町家としては市内では最大規模に属し、各1間半の床と棚を装置したザシキや独立して設けられたブツマ、かなり広いダイドコなどにその特色がみられる。また、主屋だけでなく土蔵も残り、内部が一部改造されているものの全体としては保存状況は良好で、下京における大店の建築遺構としてその価値は極めて高い。
なお、祇園祭においてこの住宅は当町伯牙山のお飾り場となっている。(京都市指定有形文化財。最上段の画像も杉本家住宅) |
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堀川通を渡ると道が細くなる。雨も降り出し道が湿っている。大宮通を過ぎると右手に法善寺、光縁寺と続く。光縁寺の門前に新撰組之墓の石碑が立っている。午後5時で閉門のため入ることはできなかった。 |
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坊城通と交差するところにある旧前川邸、八木邸。ともに新撰組の屯所となった屋敷である。八木邸で近藤勇らが芹沢鴨を暗殺している。旧前川邸を左折して坊城通を少し進むと新撰組ゆかりの壬生寺がある。 |