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「十字架の丘」は、シャウレイ近郊(シャウレイ北東約12q)にある。この地はいわゆる墓場ではない。「十字架の丘」の始まりは詳細には分かっていないようだが、1831年のロシアに対する11月蜂起の後、反乱兵や処刑された人々の家族が、彼らの遺体のかわりに十字架を丘に建てたののが始まりのようだ。
その後、この地はロシアの圧制・抑圧により処刑された人たち、シベリアへ流刑された人々を悼んだ人々が、十字架を持ち寄って次第に大きくなり、リトアニアの巡礼地になっていった。
なお、「十字架の丘」は「リトアニアの十字架の手工芸とその象徴」という名で、ユネスコの無形文化遺産に指定されている。 |
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