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<王の寝室>
1701年、ルイ14世は、宮殿を東西に横切る宮殿翼にある、朝日が正面に見える広間に寝室を移した。鏡の回廊に面した3つのドア兼窓はふさがれ、アルコーヴが形作られた。アルコーブと部屋の残りの部分を分ける金色の木製バラスターには彫刻が施され、スタッコに飾られたニコラ・クストゥによる「王の眠りを見守るフランス」のアレゴリーが寝殿を見下ろしている。
ルイ14世は、君主制の聖域となったこの寝室で「私的な夕食」をとり、「日出」と「日没」の儀式を毎日執り行っていた。ルイ14世は、1715年9月1日、71年の治世の後にこの部屋で亡くなった。
部屋の奥は真紅地に金銀の刺繍が施されたブロカード織りで絢爛に飾られ、さらにルイ14世によって選ばれた絵画が部屋の壁を飾っている。アタック部には、ヴァランタンとジョバンニ・ランフランコによる「使徒たち」と「シーザーの献金」がかけられており、扉の上には、ジョヴァンニ・バティスカ・カラッキオによる「洗礼者聖ヨハネ」、ドメニキーノによる「マグダラのマリア」、ヴァン・ダイクによる2枚の肖像画がかけられている。
ルイ15世によって設置された二つの暖炉の上には、アントワーヌ・コウズヴィックスによる「ルイ14世の胸像」、そしてルイ16世の弟プロヴァンス伯のものであった気圧計付きの置時計と4つの枝付き大燭台が置かれている。 |
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<王の大広間>
王の大広間は何度も改築されたが、1671年から1681年にかけて、シャルル・ル・ブランの指揮による工事で最終的な装飾が定まった。太陽の神アポロン(ルイ14世の紋章となった)を中心とする古代ギリシャ・ローマ神話の世界を表している。
また、この広間は、北側花壇に面した一列に配置された7室の広間により構成されており、宮廷内の王主催による催し物の際に、それぞれ、立食、ゲーム、ダンス、ビリヤードなどに使用されていたが、1684年以降、謁見と宮廷娯楽時のためのみに使用されるようになり、王は大理石の内庭に面した部屋に住んでいた。 |
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<鏡の回廊>
戦争の間、鏡の回廊(長さ73m、幅10.5m、高さ12.3m)、そして平和の間は見事に調和し合い、庭園を見晴らす宮殿の西側正面の全体を占めている。
工事(1678年〜1686年)は、建築家ジュール・アルドワン・マンサールと画家シャルル・ル・ブランに任された。円天井の絵画は、1661年の新政の宣言から1678年のニメーダ条約に至までのルイ14世の歴史を描いている。
この回廊は普段は、君主が礼拝堂へ行くための通路として使われていたが、王の広間と王妃の広間を結ぶ通路でもあった。さらに大きな催し物や、王族の結婚式、また各国大使等の接待にも使用された。その際には鏡の回廊に王座が設けられた。(パンフより) |
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